- 영문명
- A Study on “the Legal Position of Mistress” at Meiji Era
- 발행기관
- 일본어문학회
- 저자명
- 所由美(도꼬로 유미)(Tokoro, Yumi)
- 간행물 정보
- 『일본어문학』日本語文學 第53輯, 467~492쪽, 전체 26쪽
- 주제분류
- 어문학 > 일본어와문학
- 파일형태
- 발행일자
- 2011.05.30

국문 초록
영문 초록
新律綱領では、妾の地位は飛躍的に高まり、妻同樣の配偶者と法的にも公認され保護されるものとなり、戶籍に關連しない事實上の娶妾も法律上の効力が認められ、その子は庶子として認知される限り法律の保護を受けた。しかし、司法卿江藤新平や森有礼(ありのり)は、明治7(1875)年から8年にかけ「妻妾論」を『明六雜誌』に發表して廢妾論の急先鋒となり、福澤諭吉(1835~1901)も「男女同數論」を『明六雜誌』に投稿し、廢妾論を支援した。
事實においては、國家的利益が前面に押し出され、廢妾が實現していった。1876(明9)年は、ちょうど司法省において民法編纂が開始された時期であり、6月15日の『東京日日新聞』雜報欄には、民法編纂の基本原理についての記事の中に、「妾は從前ノ二親等タルヲ止メ法律上ニ妾ト云フ者ヲ公認セラルル(ママ)事」(十一年民法には妾は公認されていないので、明らかに「公認セザル事」の誤植である)という一項を見出すことができる。1876(明9)年の論議では、民法との關連で妾制度が論じられるようになるのである。
そもそも、妾を公認した新律綱領は、加害者と被害者との身分關係を科刑の重要な基準とする明淸律を基準としているが、治罪法に關する規則や手續きは普遍的な歐米の制度に倣って制定されており、故に兩者の矛盾が深刻化して新律綱領の全面改訂が不可欠となった政府は、歐米の制度を範とした法律を制定する必要にも迫られた。娶妾制度の存廢は、こうして問われることになったのである。
목차
Ⅰ. はじめに
Ⅱ. 本硏究の方法及び範囲
Ⅲ. 明治時代の娶妾制度
Ⅳ. 終わりに
參考文獻
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참고문헌
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